ブラームスはヴィオラ弾きにとっては特別な作曲家である。ブラームスは自身がヴィオラを弾くこともあって、オーケストラのパートにせよ室内楽のパートにせよとても「オイシイ」のだ。

 ブラームスに夢中な時期があった。オーケストラに入りたての頃だったろうか、当時ドイツ系の指揮者に接する機会が多かったこともあって、ドイツ物、中でもブラームスにどっぷりだった。彼らを育んだ空気を肌で感じたくて、オケを一年休んでベルリンへ行った。ベルリンフィルの現役奏者だった我が師匠フリッツェ氏は黄金のカラヤン時代真っ只中を経験したベテランで、私の学びたかったことを惜しみなく与えてくれた。2009年に開催したリサイタルでもブラームスのソナタ2曲をいっぺんに弾いた。   

 だがその後、なぜか私の中でブラームスの占める場所が小さくなっていった。オーケストラではオペラをやる機会が増え、興味は勢いワーグナーやヴェルディ、プッチーニに向かった。ブラームスはオペラを書いていない。それに、ブラームス特有のおしくらまんじゅうする音符たちの、厚い、濃い響きが少し苦手になったこともあったように思う。

 今日、ブラームスを聞いた。弦楽器の指導をさせてもらっているTBSK管弦楽団の演奏会だ。昨年秋に予定されていた定期演奏会は台風で、そのリベンジとして予定した今年5月の演奏会はCovidー19により、中止という苦渋の決断を余儀なくされてようやく今回一年以上ぶりに開催できた演奏会。演奏者間の距離を十分にとらなければならなかったり、準備期間もいつもよりは短かったりと様々な制約があった中、「やっと演奏会ができた!」というそれぞれの思いがひしひしと感じられる素直な演奏だった。

 私の出発地点もアマオケなので、気持ちがよくわかる。数ヶ月から半年、たっぷり時間をかけて作曲家のこと、作曲された経緯、自分のパートはもちろん、他の楽器との絡みはどうなのか、体に染み込むまで練習して、ようやくたった1回の本番を迎える。ただシンプルに音楽が好きだから、オーケストラが好きだから、そこで得た感動を多くの人とただ共有したくて弾いていた。その気持ちは今もいつも心にあるが、演奏を「業務」と呼び、そこに書かれた音を出すことだけで終わってしまうことも残念ながら少なくない現場にいるとともすれば見失いそうなその初心を、今日のブラームスが思い出させてくれた。ダンサブルな、爽やかなブラームスだった。何十年か後にまた彼らのブラームスを聴いてみたいと思った。

 最後の音が消え、拍手の中、最初はまだ演奏の興奮と緊張でこわばった彼らの表情が、次第に融けて笑顔になった時、私も一緒に彼らの「ブラームス」という世界からフッと現実に戻ったように感じられたことが嬉しかった。彼らと一緒に音楽に向き合える時間は本当に幸せな時間。感謝です。

 さて、明日は東京フィル、ブラームスの4番とドッペルコンチェルトのリハーサル。どれだけどっぷり浸れるか、行ってまいります!

tacaco

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