11年。

あの日はオフで、昼前から友の買い物に同道しラーメンを食べて帰宅する途中の地下鉄の中だった。急ブレーキで停車し、ようやく揺れの名残を感じた。む、閉じ込められる?と案じたのも束の間、次の駅のほんの手前だったので、しばらく停止ののち次の駅まで徐行運転、降車できた。地下鉄はしばらく止まる、とのアナウンスがあり、また降りた駅はJRとの連絡駅だったのでそちらに乗り換えてターミナル駅に出ようと、ひとまずJR駅に向かう。しかし、JRは早々に5、6時間は運転復旧の見込みなしとのことだったので、うーむ、ではとりあえず当時の住まいの最寄駅の私鉄の一番近い駅までタクシーに乗ろうと地上ロータリーに出た。右往左往する人々、タクシーを捕まえようと道端に立つが、まず空車がない。そうこうするうちに余震。。地面がうねるのを、そして電柱やガードレールにしがみつく人たちを見た。。。そこに佇んでいても仕方ないので、タクシーのチャンスを横目に狙いつつ、自宅方面に幹線道路を歩いた。その結果、当時の自宅まで約6時間を歩き通すことになった。陽が落ちるとだいぶ冷え込んだ。コンビニの棚にはすでに何もなく、途中のマクドナルドで、唯一提供されていたコーヒーでなんとかカラダを温め、同じく自宅目指して歩く見知らぬ人々と黙々と歩いた。当時はまだガラケーだったか、ありがたくも案じてメッセージをくれた友らと、繋がりづらくなりつつあるアプリや電話で連絡をとりつつ帰路を急ぐ。たどり着くと自宅は本棚の本が床に散乱していた程度で大きな被害もなく、片付けながらテレビをつけた。そして言葉を失った。押し寄せる泥水に、家々や車がおもちゃのように流される光景。。。加えてまたいつあの揺れが来るかという不安。。。テレビに釘付けになる。刻々伝えられる東北の被災地の状況。そしてその後の数日は福島第一原発から目が離せない日々。。。

被災地の人々の避難生活はまだ続いている。何をおいても万全に補償され、手厚く守られなくてはならないのに、その手立てが充分に行き届いてはいないという事実、そしてそのことが報じられることもだんだんと少なくなり。。。風化させてはいけないことがある。こんな時、日本人の「忘れっぽさ」は罪深いしそれで済ませてよいことではない。他国のいざこざも大きな問題だが、その前にこれをなんとかしなきゃの思いも強くなるばかり。

さて。来る18日のアンサンブル本番、ブラームスの六重奏第二番の初合わせ。やりがいあり過ぎて鼻血出そうw それにしても素晴らしく気持ちのいい素敵なメンバーの皆さんに感謝。音楽を本当に大切に、丁寧に愛する皆さんと演奏できる幸せに満ちた数時間。もっと楽しめるように、がんばるよ〜https://ameblo.jp/musicnetwork-en/entry-12730729077.html

おやすみなさい。よい夢と永遠の平和を。。。

tacaco

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