私の母は、私の話をじっくり聞いてくれるほうではなかった。学校から帰って「今日ね、こんなことが、、、、」と話し始めると「あら、そう。ママはね今日こんなことがあってこれこれこうで、、、、」とすぐに自分事に話を持っていってしまう。兄弟姉妹でもいればそちらにいけば良いが一人っ子は他に話を聞いてくれる人もいない。これがかなりストレスだった。やがて大学生くらいになり、大いに語り合える友達ができてうまいことそのストレスはいつの間にか消えたのだが。そんな生い立ちのせいにする訳じゃないけど「話をすること、聞いてもらうこと」が苦手だ、という自覚がある(これは表現者としてはハンデだ)。それに女同士の付き合いは親密になる程「話せてナンボ」なところがあるので正直どちらかというと女友達との付き合いを敬遠しがちにもなった。しがちだ、今でも若干。傾向として、女性同士だとお互いに相手の話を聞かず、自分の話を被せていくケースが多いように感じる。我が亡き母のように。私もテンパるとそうなるがw いや、よく観察していると決して女性に限らないが、そういった「会話になっていない会話」は聞くことすら、身勝手なことに、心に余裕がない時はツラい。男友達との付き合いは(若い時は特にw)それなりに気を使ってくれるし、その割にこちらは気を使わなくてよかったりしてw(いいのか?)気楽だったりするのだ。そんなわけで、仲良くなるのは男女問わず聞き上手な人が多かった。が、拙い私の話を「うん、うん」とよく聞いてくれるから、すっかりわかってくれたものと、気が合うなあ!と心を許してなんでも話すと、実はただ聞いていただけで、気が合うわけでもなんでもない、ウラでは全く違うことを言ってた、なんてイタイ思いをしたこともあった。いろいろ経て、今は楽しく、バランスよく、テンポよく、気のおけない会話のできる信頼する友に囲まれ、また新たに出会えるまでに成長した、とは思う。えっへん。
母は、余裕がなかったのだろうか、母もまた話を聞いてもらいたかったのだろうか、と考える。母の母と(祖母w)母はどんなふうに話していたのだろう。想像するに、おばあは我が娘を遮って自分の話をするタイプではなかった。母は幼い頃から自分を語り、聞いてもらえたろう。だからそのままだったのだ。羨ましいが、なおさら私のストレスはわかるまい、という納得。。。残念w
「話が通じない」徒労感の一日。相手の見方を尊重する姿勢は忘れずにいたいと思う。みんな違うのよ、感じ方も考えも。だからこそ、思いやりが必要。これを「恕」というのだと、友が教えてくれた。
そんなことやあんなことすべてを包み込む、若き名手、服部百音さんの「心」の溢れる名演奏が沁みた。Brava。
さて。よく寝て、明日もがんばっていきましょう。
おやすみなさい。よい夢を。