朗読劇「命がけの証言」を観に紀伊國屋サザンシアターへ。 https://watashinominiokitakoto.net/
この公演のことはネットでなんとなく知っていたけれど、観に行こうと決めたのは先日訪れたウイグルレストランにポスターが貼ってあったから。よからぬことが起きている、程度の知識しかなかったので、今回さらに知ることができてよかった。
BBC等でも数年前からすでに報道されていることだが、日本ではほぼ報道されることがないようだ(テレビをほとんど見ないのでわからないけども。)劇中では「中国共産党」による新疆(「新たに征服した」の意らしいので蔑称である)ウイグル自治区のジェノサイドが非難される。人々はあらぬ嫌疑をかけられ不当に拘束され、監視され、暴行・虐待され、命を奪われ、臓器を取り出し売られ、漢人との婚姻によりウイグルの血が薄められ、ウイグル語の使用を禁止され中国語を強要、教育・洗脳される。
劇中、命からがら日本に逃げてきたウイグル女性は、親身に境遇を取材し世界に発信しようとする日本人に対し、感謝しつつも危惧するのだ。自分たちと同じように多くの日本人も人がよく、世界の情勢に疎いので、このままでは日本も大きな力に凌駕されてしまうかもしれぬ、と。
ウイグルの実情を伝えるにとどまらず、この劇のテーマの一つが日本人に対しての警告であることは理解した。しかし、非難されて然るべき「中国共産党」の所業と、程度の違いは簡単に論じえないけれども同じように韓国に対してハングルを禁じ日本語を強要し、「天皇陛下万歳」を唱えさせた過去があることをも両手に乗せて向き合っていくことが必要ではないか?と一抹の割り切れなさとともに、観終えた。
かつて私の祖母の世代は日清・日露戦争、関東大震災、太平洋戦争、さらに戦後の高度成長、と想像もつかぬ「変化」の続く明治・大正・昭和をよく生き抜いたものだ、と驚きをもって受け止めていたが、どうしてどうして近年、昭和・平成・令和を通して我々が経験しつつある「変化」の度合いは遥かにそれを超え、人類が経験してきたなかでもなかなかの大きなものなのではないか、と思いが変わりつつある。この現代の溢れる情報はもう私たちの手には負えていない、と感じる。知ってしまったことを知らないことにはできない。残された人生、知りたいことがあまりにもたくさん押し寄せて、知らなくていいかもしれないことに目を背けて生きるのがもはや幸せだと思えなくなっている自分を持て余す、という気分。。。。
さて、そんな今日の朝はゆっくりと起きて、原因不明のw各部位の筋肉痛を和らげるべくストレッチしたり、お洗濯をしたり。
明日は久しぶりのオーケストラのリハです。がんばってまいりましょう。
みなさま、よい夢を。おやすみなさい。。