「型」というか。これがほしいものの一つ。芸事でいわれる、「守、破、離」、型に入り型から出る。

例えばバロックの時代、古典の時代、ロマン派の時代、それぞれの音楽にそれぞれの型がある。もちろん、時の流れの中でのことだし、あくまでも「伝えられてきたこと」を基に今も検証が続けられつつあることなので、これが正しく、これは間違い!と言い切れるものは厳密にはないのかもしれない。が!、バッハの時代にヴィブラート、ガンガンかけたということはないだろうし(その後の時代、モーツァルトの父・レオポルトのヴァイオリン教本にも「いたずらにかけまくっては趣味が良くない」意が書かれている)、意味なくポルタメントを使うこともなかったろう。それが常識だと、あえて書き残したりはしないものだから、我々はそこも想像、リサーチする必要がある。ハイドンで、意味なくフィンガリングの都合で音がポルタートされるのは、スタイルから外れると思うのだ。時代劇を見てて役者さんの腕に腕時計の日焼け跡が白くくっきり残ってるくらい違和感があると思うのだ。ヴェルディでもそう。ある奏者がイタリアの名指揮者に指摘されたこともあった。「そこ!ポルタメント、だめ!」と。生理的にありえない、といった物言いだった。もちろん意図的に、効果を狙ってする箇所はあろうが。というか、意図をもってやるからこそ効果があるのよね。。。

こういったスタイルをきっちり持ちたい。音楽では特に。

音楽以外でも、自分のライフ「スタイル」、生き方のスタイルをもっと鮮明にしたいと、最近ヤケに感じる。

型に入り、思い切りそこから飛び出したい。その時どんな景色が見えるのか楽しみだ。

明日は久しぶりのお客さま。ささやかながら仕込み中。りんごのワイン煮。。。

朝はいただいた柿を堪能。甘々。

明日もよき日に。

暖かく、素敵な夢を。おやすみなさい。

tacaco

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