美しい音が並ぶだけではいい演奏にはならないし、いわゆる美しい音ばかりではなくても唸らせる演奏がある。人によって聴くポイントも違うし、好みもあるだろう。チャイコフスキー、特にバレエの曲で私がイメージするのは「読み聞かせ」だ。いやでも情景が、登場人物の心情がわかりやすく表現されることで、コドモたる聴衆は安心してその物語に没入できる。「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました」これをただ一文字一文字きれいに読んでも意味は通じるけど、そう心は惹かれまい。「むかぁしむかし、、、あるところに⤴️おじいさんと、おばあさんが⤴️『いました』⤵️」こういう抑揚あってこそ。そのニュアンスたるや無数の可能性があるわけで、それは音を出す末端である私たち奏者一人一人に委ねられるのだけど、それを百人近くで纏って表現するんだから、でっかい指針がまず必要。それを出すのが指揮者で、その大きな指針に基づいて細かいところを調整しつつ同じセクションの色々な方向に向いたそれぞれをある程度まとめていくのが首席奏者の仕事。具体的に言えば、弦楽器なら音程のとり方はもちろん、弓のスピード(大事)、重さの調整など。そして一つのフレーズは一つの文章なので、結局文末まできたところで何が言いたいのかまでを計算して、横の軸、言葉の流れ、経過を意識して話さないと説得力が薄まる。その上、曲全体はいろんなセリフが絡み合ってその全貌となるので、強調すべきところと引っ込まなくてはいけないところを瞬間瞬間、縦の軸でも判断しなくては。はぁ〜〜〜。オーケストラって難しいんだよ。うまくいくって奇跡なんだよ。いつも奇跡を起こしたいんだよ。
ていう。「白鳥の湖」のゲネプロ終了。吉田都監督の前口上(ご挨拶、か)では元監督・牧阿佐美氏の訃報にも触れられ、厳粛な雰囲気の中。明日はいよいよ初日。「豊かな音で」
晩ごはんは、ご近所の、人生のちょっと先輩たちと鍋的なもの。
宴のあとの、ひとりビールと紅茶豚トリュフソースがけ。
明日は晴れますように。
おやすみなさい。よい夢を。