たまちゃんこと中島智子の前夜式だった。思い出をお話しさせていただく光栄をいただいた。以下。

僭越ながら、智子さんの思い出をお話しさせていただきます。ご家族の皆さまには改めましてお悔やみ申し上げます。

私は智子さんとは上智大学のオーケストラで同期、一緒にヴァイオリンを弾いておりました手塚貴子と申します。その時の仲間は今日もたくさん彼女に会いに来てくれていますね。ご覧のように、そして皆様ご存知の通り、みんなから信頼され、愛され、めちゃめちゃ頼りにされ、聡明で明るい彼女はどんな場面でもなくてはならない人でした。私にとりましても、辛い時も嬉しい時もいつも絶妙な距離感でしっかりそばにいてくれる心の友です。大学を卒業後、無理やり音楽へと進路を捻じ曲げた私をそれまでと変わりなく見守り続けてくれました。なんとか音楽家として足掻けるようになってからはいつも応援に来てくれました。耳の肥えた彼女のこと、いつもハラハラしながら聴いていてくれたことと思います。ですが、それは音楽を愛する彼女にとっては、私が多少なりとも、彼女の触れられなかった音楽の世界に身を置き楽しく暮らしていることを喜んでくれたということであり、一方で、私にとっては、彼女という存在は私が成し得なかった、優しいご主人と愛らしく今では頼もしいお子たちとの温かい家庭の良き妻、良き母であることの具現、つまりお互いに叶わなかった夢の一つをお互いがかなえつつあったということなのだよね、とそんな話をした記憶もあります。

女友達としてはおそらく通常ほどおしゃべり好き同士ではなかったけれど、長い年月にいろいろな話をしました。あの穏やかな声で、意外なほど結構アグレッシヴに世の不公正を嘆き怒ったり、またキラキラと大好きなサッカーの話や推しの音楽家の話、大野さんや優人さん、アホーヤさんのことなど、いつも体全身で語ってくれました。

昨年の五月には二人でウン十年かぶりに旅をしました。私のリクエストで九州の高千穂に行きたい!と言ったところ、すぐにプラン作成を開始、飛行機から宿、三食の食事処、名所、温泉などいかにも彼女らしい完璧な計画を立ててくれました。クリスチャンの彼女にしっかりと、天岩戸神社、高千穂神社といった参拝コースを作らせてしまいました。

楽しかったその旅ですが、すでに、こんなに早いとは思いませんでしたが、今日の日が来ることは二人とも心にありましたので、なおさら一刻一刻が愛おしく、大切に大切に、すべての景色と二人の時間を胸に刻みました。

先の日曜日に、病院の彼女に会いに行きました。「コーヒー、もう飲めないけど香りだけ嗅ぎたいから一階のタリーズで買ってきて、一口ちょうだい」と言われていたのですが、日曜でやっていないと思われたのと、鈍臭い私が病院の中で迷いかけたのもありコーヒーの調達ができませんでした。起きているのも辛そうでしたがそんな表情は見せず、「薬が効いてくれればもう少し大丈夫」と前向きでした。笑顔で、二度握手をし「また来るよ」といってその日は失礼し、翌々日もう一度今度こそコーヒーを持って行くつもりでいましたがその朝に、逝ってしまいました。「てっこ、遅いし!」と言われてます。

コーヒーを飲んでいても、楽器を弾いても、温泉に入っても、旅をしても何をしていてもこれからは、これからもいつも一緒にいてくれるのだとわかっていても、寂しいです。

いずれ遠からずそちらに行きますが、いや、彼女のいるところに未熟な私が行けるかどうかはまだかなり怪しいので、行けるように、たまちゃんに恥ずかしくないようにしっかりと命を使ってまだもう少しがんばりますので、それまで先にバッハやモーツァルトやいろんな人たちと仲良くなっておいて紹介してください。まだまだあなたが頼りです。

たまちゃん、ありがとうね。愛してます。

どうぞ安らかに。またね。

tacaco

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