とあるご縁で、人様の間に入って諸々を取り継ぎ良き方向に持っていく、という案件に取り組んでいた。これは意外にワタクシ的にはイヤではないことみたい。こんな時に心の底にいつもあるのは「善意」だけで、それが故に誤解を生んだり時間や手間がかかったり、というのはあるのだけれど、やはりつくづく思うのは、シンプルな「善意」が必要不可欠だということ。図らずも今泳ぎ続けている「敵意の海」に嵌った遠因は、私がこの善意は誰もが持っているもの、と勘違いをしていたことである。

人は驚くほど自分の考えの中にしかいられないもので、いざとなればまずは本来あるべき正しい道などより自分の安全を第一に守るものであり、それを知らずにいい年になるまで過ごしてきていた。おめでたい、というか幸せだったのだ。その意味ではこの敵意の海は私にいろんな知恵を与えてくれた。生きてて無駄なことは一つもないね。。。ありがたい。

この善意を育てて「愛」に成長させましょう。

一方で、次元の低い事柄を嫌う心も育ちつつある。聞く価値なし、と判断する基準はそこに善意があるかないか、だ。結果を出したいなら効果的な方法を用いるべきで、「言ったから」「やったから」にはなんの意味もないよね。いい結果を出したいという本物の「善意」が最低限、不可欠。自己満足はこの場合も、敵。

毎日、発見。

おやすみなさい。よい夢を。。。

tacaco

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