「金髪の男の子だと思ってたんだよ。そしたら本番で、こんな肩の出るドレスだったからびっくりしたの。」
教授のこと。
2014年、前年に続く東京フィルとの2回目ツアーの金沢公演の際、当時仲良くしていたオケ仲間と思い切って教授に、飲みに行きましょう!と声をかけた。なんと教授はOKしてくれて、私たちは揚々と宿から少し離れたところにある落ち着いた雰囲気の隠れ家のようなお店に向かった。ほどなく教授とスタッフの皆さんご一行が到着。2回目のツアーでは指揮もした教授、演奏の色々なことやオケ以外にも演奏する機会あるの?とか、和やかに話が弾んだ。大きなテーブルの、教授の真正面に座った私の隣には高校の同級生、オケ仲間のコウシロウ。収録の○OW W○Wのエラい人である彼は偶然にも本ツアーの現場スタッフとして入っていたのだ。もちろん卒業以来の再会。そんなこともあり、こちらはこちらで昔話に話が咲いてしまい教授と話すチャンスはあまりなかったのだが、ふとした話の流れで、前回のツアー時の私のことを冒頭の様に。。 東京フィルは通常ヴィオラは外側なのでリハも本番も、ピアノを弾く教授の真正面の位置だったのだ。しかも当時マックのポテトのような金髪だったから目に付いたのだろう、こちらは当然、憧れてガン見しているのでw 時に目があったりした。ドキドキだ。
飲み会がお開きになり、タクシー分乗でホテルに戻ろうということになり、たまたまラッキーにも教授と奥様である空さんと一緒に。「コウシロウと一緒の高校なんです」などという話から「あ、じゃ僕たち同じ『都立高卒』だね〜」と。
私たちに、とても気さくに、まるで友達と話すように、フラットに接してくださった。そしてその後のツアーも毎日が心の昂る一回一回だった。
色気のある演奏とはなんだろう、と考える。
その瞬間にこれしかない、という音を探し続けることなのだ、と教授と音楽する時間に気づいた。
大きな人だと思った。あれだけ高いところに到達し広い裾野を持つ人はきっとそれまでの間にドリルのような勢いとナイフの鋭さで突き進む時もあったろう。でもきっとあの頃には緩やかで、穏やかな、ある境地にたどり着いたのだと感じた。もの言う音楽家などと言われるが、真っ当で、誠実なだけだ。
その時の仲間にはFacebookのアカウントの一つを教えてくれて、何度かメッセージもやり取りしてくれた。ツアーが終わって、「教授ロスです」と訴えるとw、何度も録音を聞き直している、と。手応えがあるから、また次にいけそうだから、またね、と。その直後、病を得たとの報道があり、ツアーはお預けとなってしまったが、数年前の東北ユースの現場と、昨年とある録音の時にご一緒することができた。お話するチャンスこそなかったが、ふと目があってニコッと「あの金髪のw」と言ってくれたように思う。思うことにする。
そして先月、再び東北ユースのお手伝いで参加した際、みんなの健闘にメッセージをくださった。そしてその二日後に逝ってしまわれたのだ。私にとっては因縁の曲であるマーラーの5番はまたしても深い想いを纏う曲となった。
もうしばらくしてそちらに行ったらきっと会いにおしかけます。東京が、世の中がどうなっていくのか。微力だけど、教授に恥ずかしくないようにもう少し生きてみる。
どうぞ安らかに。ありがとうございました。
想いは書ききれないけど今日はここまで。